高峰譲吉の偉業、「アドレナリン」の発見

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日本人化学者によるアドレナリンの発見

日本の科学技術水準は「応用研究、開発研究では強いが、基礎研究では弱い」 が通り相場だが、明治後期から昭和初期にかけてはむしろ欧米諸国に伍して善戦していたと言える。実際、薬学の高峰譲吉、鈴木梅太郎、細菌学の北里柴三郎、 物理学の長岡半太郎、化学の真島利行、金属の本多光太郎といった名前をあげていくと、ノーベル賞こそ受賞していないが、当時の日本の科学技術は、十分、世 界をリードする立場にあった。顧みてそれ以降の日本の不振は、不可解極まるねじれ現象に見舞われたという他はない。

アドレナリン発見の偉業を成し遂げた高峰譲吉。

日本の化学界の巨人、高峰譲吉は、東大工学部の前身、工部大学校で学び、英国留学、農商務省工務局の研究職などを経験した後、米国に研究活動の基盤 を移した。 高峰の名を聞いて、まず連想するのは、日本人にはお馴染みのあの胃腸薬「タ カジアスターゼ」である。 夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』を開くと、「彼は胃弱で皮膚の色が淡黄 色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらはして居る。其癖に大飯を食ふ。大飯 を食った後で『タカチャスターゼ』を飲む」という一節がある。
「タカチャスタ ーゼ」とは何ともおかしいが、その是非はともかく、「タカ」はギリシャ語で「最高・優秀」を意味し、それに自分の名前を重ねたものである。
高峰譲吉は、この最初の成果であるタカジアスターゼをウイスキー造りの麦芽や米麹菌の研究に取り組む過程で、同じ澱粉の消化酵素でもより強力な酵素(ジアス
ターゼ)を産出する菌を見つけていた。これを小麦のふすまに植え付けることで、強力な消化酵素のタカジアスターゼを発見したのである。1894年(明治24年)のことだ。

アドレナリン発見の経緯と苦労

しかし、それ以上に高峰譲吉の業績として高く評価されているのが、副腎髄質ホル モン「アドレナリン」の発見である。このホルモンは1900年(明治33年)に、日本人高峰譲吉と助手の上中啓三によって世界で初めて発見されたもので、今日なお強心剤や止
血剤として広く使用されている。

アドレナリン発見の偉業の功績は果たして…

ところが、高峰・上中によるこの成果を真っ向から否定する人物が現れた。米国の薬学界や生化学界を牛耳るエイベルである。彼はジョンズ・ホプキンス大学薬
理学教室の教授として1895年頃から副腎の有効成分抽出に取り組み、ヒツジの副腎から「エピネフリン」の分離・精製を果たしている。そして1897年ま
でに3編の論文を発表し、その化学構造がC17H15NOxであることを明らかにしている。
しかし、当時の学界(特に欧州の薬学界)が副腎からの有効成分として認知したのは高峰譲吉らのアドレナリンのみだった。

これではならじとエイベルが講じた手段は、科学専門誌『サイエンス』への回
想記の寄稿である。「1900年秋のある日、J.タカミネなる日本人化学者が私の研究室に訪ねてきた」に始まる一文には、高峰が自分の研究成果であるエピ
ネフリンの製法を盗み、それにある種の化学処理を施したのがアドレナリンだ、とまことしやかに書き込んでいる。高峰譲吉はその5年前に鬼籍に入っているか
ら、反論のすべもない。だが、真実は1つである。上中啓三が残した実験ノートで明らかなように、1900年の7月21日にはすでに「結晶小塊」の存在を突
き止めているのだ。

 

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